(この対談はvol.1からの続きです)
強くてもカープ、弱くてもカープ
西川:やっぱりCSに進出できるかどうかみたいな頃から、盛り上がってきたよね。全体的に。マエケンも頑張ってくれてて、もしかして強くなってないか?って。
そこからは、昔からの広島の友達とももう一回カープの話をするようになった。それこそ竹内くんとか東京で知り合った広島出身の人たちとも、試合結果を受けてざわざわ盛り上がったり。
竹内:今シーズンも勝ち過ぎてて怖いってやりとりしてたんだよね。昨日負けてちょっとほっとした。なんか不思議な感覚なんだけど。勝ち続けるのに慣れてない。勝ちすぎると怖いんだけど、カープが勝ってると気分がいい。なんなんですかねあれ。まあうちの親父
とかも機嫌よくなるし。
西川:だいたいまわりの大人の機嫌のバロメーターになってたよね、子供の頃。先生の機嫌が悪いのは昨日カープが負けたけえじゃ、とかね。失礼だけど、あんまりうまくいかないのがデフォルトっていう感覚もあるよね。負けて元々だし、貧打で元々。勝ったらすごく儲けものだし喜びもひとしお。うまくいきすぎるとこの後どん底がまっているに違いないって逆に不安になってくる。だいたい4月5月は強いから全然信じてないよ、正直。
竹内:この調子で一年もたんじゃろなっていうちょっと冷めた部分もあるかもね。それが大半のカープファンの感覚。でも弱い部分も好きなんですよね。できん子ほど愛嬌があって可愛いっていう感覚もあるんかな。
西川:お金がないこととか、市民球団として成り立ってきたっていうルーツ自体に妙な自負もあるよね。いわゆる金満球団のやりかたではないし、人が育てたものをとってきたわけでもないし、それはアイデンティティになっている気がする。だからそれで悪い時があるのはもう仕方がない。目先の勝ち負けじゃなくて、長期的に見ていくっていうのはあるよね。だから優勝は25年に一回でいいんじゃないか説が(笑)。
竹内:そう、それをこないだも話しとって。そしたら70じゃなあ。球場に歩いていけるんじゃろうかって(笑)。そう考えると、まだ余裕があるんですかね(笑)。
西川:だけどやっぱり優勝慣れしていく感覚って、観てる側として良し悪しだなって思わなかった?
竹内:3連覇した時ね。だんだん勝つのが当たり前になってくるのはちょっと不思議だった。まあ今日も勝つじゃろうって感覚になっとった。
西川:2016年の優勝の時に私東京ドーム観てたんだよ。
竹内:え?わしも行っとった。黒田が打った時でしょ?
西川:見てた?ほんと?それでさ、あそこで興奮のピークを迎えるじゃん。
竹内:いや、あの試合に広島から両親を呼んで一緒に観に行ったんですよ。
西川:なんて親孝行なんでしょう。
竹内:あん時、このために仕事しとったんだなーと思いました。いやー、ほんとあれはめっちゃ感動しましたよ。
西川:えらい!それはめちゃくちゃ親孝行だよ。でもあの優勝で感動と興奮のピークを迎えたあと、東京ドームホテルのお手洗いをお借りして、個室の便座に腰掛けてちょっとクールダウンした時、たぶんこの先どんなにいいことがあっても、これ以上の喜びは経験できないんじゃないかなという哀しみを感じたの。来年もまた優勝してほしいけど、もう今日のこの日ほどうれしくないんだろうなって感じちゃったのよ。この悲観的なところが広島県人らしいペシミズムだと思うんですけど。
竹内:そうか、そういう感覚になったんすね。
西川:25年ぶりの優勝を経験しちゃうとね。黒田選手や新井選手の物語もあったし。
竹内:その気持ちはわかります。俺もたぶんあそこがピークだったなと思ってる。
西川:そうでしょ。いつだったかソフトバンクが日本一になった年に仕事で福岡に行ったのよ。そしたら優勝した翌日なのに街がすごく静かなのね。騒いだりしてないし、ちょっとパルコとかに横断幕みたいのがあるだけで、誰もユニフォーム着てほっつき歩いたりしてなくて。
竹内:カープだったらえらいことになってますよね(笑)。
西川:やっぱり常勝軍団ってこういう落ち着きを持ってしまうんだなって。うらやましいようでうらやましくないなと思ったりもして。たまにある喜びで良いのかもしれない(笑)。
竹内:まあ、そのほうが喜びが倍になりますよね。そこまでのストーリーもあるしね。
ホンマタカシ氏の写真との出会いが転機に
西川:それだけ野球が好き、カープが好きっていうのが地盤にありながら、どうして写真のほうに進んだの?
竹内:大学は広島を離れて神戸に行ったんすけど、大学3年くらいに帰省した時、親父のカメラを持ち帰って写真を撮りはじめたのがきっかけ。まさか自分が写真を仕事にするとは思ってなかった。
西川:お父さんは写真関係じゃないよね?
竹内:全然関係なかった。機械がかっこよかったし、カメラを持ってるのがちょっとおしゃれみたいな時代だったのもあって、なんかふとやってみようかなと。
西川:写真ブームみたいなのがあったよね。カメラは何使ってたの?
竹内:親父のペンタックスです。露出とかも分からんし、どないやったら写るんじゃろって写真教室に行ったら、そこの先生が大阪で仕事をしているプロのカメラマンで、こんな仕事があるんじゃーと思って。当時は大学生で時間があったから、そこでアシスタントの真似事をやらせてもらってました。その頃に本屋さんでホンマさん(師匠のホンマタカシ氏)の写真集を見て、「なんじゃこれ!」って。日本人でこんな写真を撮ってる人がおるんじゃと衝撃を受けて、どうしてもこの人につきたいと思い手紙を出したんです。
西川:おー。
竹内:今じゃ考えられないけど、当時は本の後ろのほうに事務所の住所が書いてあったんですよ。もちろん返事が返ってくるわけもなく。その頃弟が東京の大学に行っとったから、こりゃ行かんとだめじゃと思って。で、弟のところに行って電話したら先輩の木寺さん(フォトグラファーの木寺紀夫氏)が出て「今ホンマさんはいないので伝えときます」って言われて。それを7回くらい続けたら、さすがにちょっと話題になっていたらしい。何度も電話してくるやべーやつがいるって(笑)。ホンマさんもこれは会って断わらにゃダメだ。ってことで、ようやく会ってくれて「スタジオを紹介してやるから行け」って言われたんですけど、「嫌です」って言いました(笑)。
西川:田舎ものだねー、やり方が(笑)。アプローチが土臭い。
(vol.3へ続く)